果物の様な珈琲

 粗悪品が多かった戦後の珈琲。炭化するほど焼かれた珈琲は胸焼けするほど強烈だった。それを和らげるためにコーヒーフレッシュなどが開発された。

 そんな時代から時を経てフェアトレード等により、生産者に目線を置くことで品質の向上、珈琲の格付け、味の分類作業はワインさながら。もうほぼ死語に近くなっているがサードウェーブコーヒーの時代が来ました。そして、そこから始まった「飲みやすい珈琲」「まるで果物の様な珈琲」「メロンの味がします」

 かくいう私も飲みやすい珈琲を追い求めました。よりスッキリと、より甘みを前面に、苦味は極力無くす。他店でイチゴのような味を再現した珈琲を飲んだ時は「凄い!」と思ったものです。

 しかし、最近自分の中でこれは少し違うことに気付いたのです。私などは食後に珈琲が飲みたくなるのですが、どうもこの果物のような珈琲では、なるいと申しましょうか、珈琲という存在を摂取している感覚にならないのです。それは他店にて飲んだ時に気づきました。うちのマシンはどちらかというと、この系統(果物の様)の味の抽出を苦手とするタイプの古くさいマシンですから、当時はそれがジレンマだったのですがどうも、大切なことに気付かされた気がしました。「何々の様」と擬態することもいいのですが、そもそもの珈琲らしさを捨ててはならないことに。これは、焙煎士にも感謝しなくてはならない気がしております。恐らく、この結果を彼は分かっていたような気がします。焙煎士が一定のラインを守ってくれていた様に感じます。
 
 日々精進、自分自身を戒めていかなくてはいけないと考えを新たにしました。